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ー 時忘舎の日常の切抜き ー

四 季 交 々

し   き  こも    ごも

時忘舎

●モダン建築祭一斉公開後半 11月10日(金)~11月12日(日)


今年度、京都モダン建築祭に参加し、一斉公開日につきまして貸切とさせていただき会員様には大変ご不便をおかけしました事心よりお詫び申し上げます.


建築祭後半は雨の日や急に寒くなったりと気候的には厳しい条件でしたが、この機に公開される建築を巡りたいという皆様の熱意に感動すら感じる程、ご訪問が途切れる事はございませんでした.


そんな皆様に私どもがお応えできるのは、リーフレットだけでなく、実際に私どもの声でこの場が歩んだ歴史をお伝えする事です. ここで育ったオーナーが、実際に体験した逸話や界隈の変遷、工場の歴史を語る事で、より深く理解いただきたいと説明をさせていただきました.


本来の京都は、ゆったりとした時間軸と確かな暮らしがあり、その中に京都の精神性が引き継がれております.

 

憧れで無く、実際の暮らしの中に培われた京都を知っていただきたい.

パッケージング化された、ブランドイメージとしての京都が本来の京都の姿と認識していただきたくない.

本来の姿、豊かな時間軸と受け継がれてきた(受け継ぐべき)環境を味わっていただきたい.

それが私どもの願いであり、このイベントで小さな歴史の旅をされる参加者様にお伝えしたい事でございました.


「岡崎がこんな深い場所だとはしりませんでした!」とおっしゃっていた参加者様の笑顔が印象的でございます.


さて、また今週より通常営業となります.


昨今のオーバーツーリズムに対応する為、会員制を導入させていただいております.

ご来店の皆様に、豊かな時間と環境をご提供できるすよう、日々努めてまいりたいと存じます.


それではまた皆様にお目にかかるのを楽しみにしております!


時忘舎

●モダン建築祭一斉公開前半 11月2日(木)~11月4日(土)

今年はエリアを拡大して「京都モダン建築祭」が開催され、時忘舎も参加させていただいております. 会員様にはイベント貸切の都合、期間中通常のご利用いただけず心よりお詫び申し上げます.


このイベントは昨年より開催され、その準備期に建築祭事務局様より「竹中精麦所跡」にもお声がけいただきました. 当初はお声がけいただきながら「そんな名建築でもないし、よろしいんでしょうか?」という気持ちで受け止めておりましたが、今となってはこのイベントが下記の趣旨をお持ちであった事、私どもの志(こころざし)と重なる部分がある事を理解し、参加させていただいております.


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(公式HP「京都モダン建築祭について」より一部抜粋)


『守ってきた人がいる。受け継ぎ、守り、心を注いできた一人ひとりの意志と努力がなければ、今ここにある建築と出会うことはできませんでした。ここまで受け継がれてきた建築が、今を生きて私たちの暮らしや文化や街並みを豊かにしてくれているという奇跡。この営みがこれからも続くことを願ってやみません。愛情の伝播で建築文化をつなぐ一助となっていきたいという願いをもって、「京都モダン建築祭」は生まれました。


普段は公開されていない建築が、関わる人に支えられて、このときだけ扉を開く。


それによって、京都で大切に守り継がれてきた建物や営みが“生きた文化財”として受け継がれ、時代に相応しい形で共に未来へ進んでいけるように。

さまざまな歴史と文化が層をなして重なる建築文化を多くの人と共に楽しみ、受け継いでいけるように。次の世代を担う若者やこどもたちが、こうした建築を守りたいと思ってくれるように。

建築そのものの素晴らしさができるだけ生き生きと伝わるように。


歴代の人々によって大切に守り続けられているモダン建築の存在とその素晴らしさを、多くの人と共に味わいたい。建築を観る対象として楽しむという体験を、もっと多くの人と共有していきたい。そう願っています。』


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京の都は不思議な魅力を放ち、多くの人々を今なお惹き付けております.

「その魅力とは?」との問いに一言では言い表せないのは百も承知の上ですが

その一端は、この場所は千年の歴史のいずれの「時代」も今なお混在し、町中にその「跡」があり語り継がれているという事. 私たちが代々歩んできた「跡」すなわち「証(あかし)」がそこここに現存しているからではないでしょうか.


見方を変えれば、「証(あかし)」は「道しるべ」でもあります.

迷ったとき、「証(あかし)」を繋ぐ事で、今いる位置や、行くべき先を考える事ができるのです.


勿論、第二次世界大戦時、戦火により歴史的建築という守るべき語り部が焼失した他の地域から見れば

京都はその文化的集中拠点として歴史的建造物群に守られた事は大変幸運でありました.

私たちを守ってくれたものを私たちが守っていく、それが私達が担うべき事と考えつつ、

「道しるべ」を遺そう、守ろうとする方々とそれを共に担おうとして下さる方々に感謝と感動を覚えながらイベントに参加させていただいております.


前半も沢山の方にご来場いただきました. 恥ずかしながら「特にお見せするものはございませんが・・・」とお話し始め、この場所の変遷をお話しますと皆様興味を持って聞いてくださいます. そして「いつも通り過ぎていますが知りませんでした」と笑顔で帰ってくださいます. この耳学問が、皆様お一人お一人に託した私ども伝承のバトンでございます. ふとした時、お一人お一人が次世代への語り部ならぬ伝書鳩になっていただけますように‼


また後半の一斉公開は11月10日(金)~11月12日(日)でございます.

会員の皆様向けにはいつもの利用はしていただけませんが、このイベント参加にご理解いただければ大変幸いです.


最初の画像は岡崎ツアーの様子. まずは時忘舎の説明をされております!

(画像掲載にあたり事務局様のご承諾を得ております.)

期間中はお天気もすこぶる良く(暑すぎて期間中提供メニューのアイスドリンクを沢山ご注文くださいました!)

多くの建築を巡っていただくのにもってこいの日和となりました.

後半もそれぞれのツアー日和となりますように^▽^♪


皆様とまた次回お目にかかる日を心より楽しみにしております.

時忘舎

秋らしさを感じる虫の音、エアコンなしに過ごせるのは何とも有難い限り.

朝は寝やすくなった分、寝起きの布団の温かさ、余韻を引きずり起きるまでに時間がかかるようになってしまいました(笑)

ようやく、テラス席もお過ごしいただきやすい時期に入りました.

柳の枝の隙間から秋の陽光がさし、風が吹くたび、光がキラキラと揺れるのがとても心地よいです.

そして、この心地よさを感じながら、ちゃっかりワインまで投入しまして読書する時間の幸福感はたまりません.


先人の生きざまに学べと、伝記をよむのが小さなマイブームでございます!!

先人の言葉に、はっとさせられる事が多く、壁にぶつかった時に宝となる言葉で溢れている気がいたします.


どんな時代でも、人間は必死に状況打破に知恵を絞り生き抜いてまいりました.

その勇気と知恵に学びながら、「今」を生き抜いていきなさいという強いメッセージを読書に感じる時間が至福でございます.


数日前にハッとした箇所を一つご紹介.

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「人間本来無一物 無一物中無尽蔵」

(にんげんほんらいむいちぶつ むいちもつちゅうむじんぞう)

「人間生まれた時は何ももたずに生まれてきて、死ぬ時も何も持てずに死ぬ.

何ももたないからこそ、そこに無限大の可能性がある」

というような意味の禅語を引用しての初代関西電力の社長 太田垣士郎氏が1939年、阪急の『互助会報』に記した言葉は下記.


〈“無所得”ということばがある. 商売のうえからみれば、まったくバカなような言葉であり、本当にバカなことであるに違いないが、これを一歩精神的な立場におくと、燦然と光を放ってくるように思える. 中国の梁(りょう)の武帝が達磨(だるま)大師に『自分はいままでずいぶんたくさんの寺を建て、沢山の僧侶を養ったが、どんな功徳があるだろうか』とたずねると、達磨大師はすまして『無功徳!』と喝破(かっぱ)したという. 所得、所得と、つねにこれのみに向かって努力する人は、ずいぶん危険なことではなかろうか〉

文芸春秋刊 北康利著 『胆斗の人 太田垣士郎』より抜粋

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どう捉えるかは個々の考え方如何です.


私自身は、「合理性」という言葉の下に精神性が無下に扱われ、その事で現代社会が均一化され、文化的な深みや個人の思慮深さまでも奪っていっている気がしておりましたので、感じ入るものがありました.

(勝手な個人的意見です...)

個性、個性といいながら、均一化してはいないか?

単純化、そして鈍化すらしている.

本来の豊かさとは何か?

そんな事を考える秋の日.


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「時忘舎(じぼうしゃ)」は時の中に忘れ去られた工場が時代をいくつも超えて生き延びてくれた事に敬意を表し、つけさせていただいた名前です.そしてこれからは時を忘れて過ごす空間へとの未来の皆様に希望を託した名前.


現代の「忘れ物」が見つかる場所でありたい.

思考の世界は無限大ではあるまいか、ならばその思考を取り戻す時間と空間を提供できる場所でありたいと「時忘舎」は強く願っております.


どうぞ皆様も好きな本をお持ちになって秋の一日、ゆっくりと読書など楽しみに時忘舎へお立寄りくださいませ.


そうでない皆様も、凌ぎやすいこの時期、夏の疲れを癒してお過ごしくださいませ.

また笑顔でお目にかかれる日を楽しみにお待ち申し上げております.












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