- 時忘舎
読書の秋・・
秋らしさを感じる虫の音、エアコンなしに過ごせるのは何とも有難い限り.
朝は寝やすくなった分、寝起きの布団の温かさ、余韻を引きずり起きるまでに時間がかかるようになってしまいました(笑)

ようやく、テラス席もお過ごしいただきやすい時期に入りました.
柳の枝の隙間から秋の陽光がさし、風が吹くたび、光がキラキラと揺れるのがとても心地よいです.
そして、この心地よさを感じながら、ちゃっかりワインまで投入しまして読書する時間の幸福感はたまりません.
先人の生きざまに学べと、伝記をよむのが小さなマイブームでございます!!
先人の言葉に、はっとさせられる事が多く、壁にぶつかった時に宝となる言葉で溢れている気がいたします.
どんな時代でも、人間は必死に状況打破に知恵を絞り生き抜いてまいりました.
その勇気と知恵に学びながら、「今」を生き抜いていきなさいという強いメッセージを読書に感じる時間が至福でございます.
数日前にハッとした箇所を一つご紹介.
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「人間本来無一物 無一物中無尽蔵」
(にんげんほんらいむいちぶつ むいちもつちゅうむじんぞう)
「人間生まれた時は何ももたずに生まれてきて、死ぬ時も何も持てずに死ぬ.
何ももたないからこそ、そこに無限大の可能性がある」
というような意味の禅語を引用しての初代関西電力の社長 太田垣士郎氏が1939年、阪急の『互助会報』に記した言葉は下記.
〈“無所得”ということばがある. 商売のうえからみれば、まったくバカなような言葉であり、本当にバカなことであるに違いないが、これを一歩精神的な立場におくと、燦然と光を放ってくるように思える. 中国の梁(りょう)の武帝が達磨(だるま)大師に『自分はいままでずいぶんたくさんの寺を建て、沢山の僧侶を養ったが、どんな功徳があるだろうか』とたずねると、達磨大師はすまして『無功徳!』と喝破(かっぱ)したという. 所得、所得と、つねにこれのみに向かって努力する人は、ずいぶん危険なことではなかろうか〉
(文芸春秋刊 北康利著 『胆斗の人 太田垣士郎』より抜粋)
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どう捉えるかは個々の考え方如何です.
私自身は、「合理性」という言葉の下に精神性が無下に扱われ、その事で現代社会が均一化され、文化的な深みや個人の思慮深さまでも奪っていっている気がしておりましたので、感じ入るものがありました.
(勝手な個人的意見です...)
個性、個性といいながら、均一化してはいないか?
単純化、そして鈍化すらしている.
本来の豊かさとは何か?
そんな事を考える秋の日.
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「時忘舎(じぼうしゃ)」は時の中に忘れ去られた工場が時代をいくつも超えて生き延びてくれた事に敬意を表し、つけさせていただいた名前です.そしてこれからは時を忘れて過ごす空間へとの未来の皆様に希望を託した名前.
現代の「忘れ物」が見つかる場所でありたい.
思考の世界は無限大ではあるまいか、ならばその思考を取り戻す時間と空間を提供できる場所でありたいと「時忘舎」は強く願っております.
どうぞ皆様も好きな本をお持ちになって秋の一日、ゆっくりと読書など楽しみに時忘舎へお立寄りくださいませ.
そうでない皆様も、凌ぎやすいこの時期、夏の疲れを癒してお過ごしくださいませ.
また笑顔でお目にかかれる日を楽しみにお待ち申し上げております.
