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 Jibohsha 時忘舎

京都岡崎の白川べりに佇む時忘舎(じぼうしゃ)は大正3年(1914年)創業、旧竹中精麦所の工場です.

北側には麦の販売、卸の商いをした母屋、その周囲には従業員が暮らした家が点在し、敷地南端には商売繁盛等を祀った自社の稲荷を抱えた精麦所(せいばくしょ)一反(およそ300坪)の区画が現代も所有者により受け継がれています.

この界隈には疏水の水と生きた人々の営みがあり、先人のひたむきな歩みが現代の私どもへと繋がっております.

私どもの目指す場所づくりとは、表面的・物質的な社会に埋没されてはならない精神性や美徳、歴史のように目に見えないものがしっかりと息づく空間でございます.

​雑踏からはずれた都会の中の山荘を目指し、先人の営みのごとく、ただひたむきに存在をしつづける場所でありたいと考えております.

​時忘舎の「会員制」は、門の中に於いては「素」の己を感じていただくように世の雑念、虚勢を捨て去っていただく為のものでございます.

ご理解いただきますよう心よりお願い申し上げます.​

​                    時忘舎

川岸様 左右_edited.png

Get to Know Us

一大都市開発事業の疏水と庶民の疏水利用の関連を示す歴史遺産として保存しております.

​大正期の精麦所跡

旧精麦所の区画の最大の特徴は、母屋・時忘舎(工場跡)の下を、北に位置する疏水から直接ひいた水路が流れている事です.時忘舎の建物入り口下に、100年前の石組みを露わに4m近い水車を稼働させた水路が現存しています.かつて70㎝程あった水位は、現在かすかに流れる程度になりました.

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​水路完成は疏水とほぼ同時期で、京都で一般からの生業・産業用利用申請開始から2番目に許可申請を受けた水路です.​​

工場二棟あり、水車用水路を挟む形で存在していました.前部の工場は経年劣化により朽ち果て、現在は時忘舎の前庭となっています.

創業者 竹中亀吉(たけなかかめきち)はそれまで投資目的で土地を購入した所有者とは違い、水車動力により麦を精麦することを生業としてこの地に根付きました.(5代目の土地所有者)

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工場だった建物の内部は構造を変えず、かつての梁、柱を残す形で、時代の流れに耐え抜いた建物に敬意を表しています.

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かつて工場には数十基の臼が並び、24時間水車が稼働し麦を挽いていました.

当時は水車のつく​杵の音が‟こっとん・こっとん”と絶えず聞こえていたそうです.

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